筑波大学 宇宙物理学研究室 森正夫
Theoretical Astrophysics and Computational Physics

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Galaxy formation, dark matter, black hole, ...

宇宙物理学研究

「我々の住む宇宙はどのように始まり、どのようにして今日の宇宙が出来上がったのだろうか。」これは人類の歴史が始まったころからの根源的な問いかけに他なりません。そして、このようなことを物理学の立場で研究する分野が宇宙論であり宇宙物理学です。1984年ジョージ・ガモフによって発表された理論は、宇宙の始まりを議論する際のパラダイムとなり、20世紀から21世紀にわたって様々な実証観測がなされてきました。我々の住む宇宙は今から138億年前に火の玉状態(ビッグバン)で誕生し、その後、宇宙全体が膨張しながら今日に至ることを示しています。

ビッグバン理論は、宇宙が誕生して間もない頃の宇宙には、水素とヘリウム以外の重い元素はほとんど存在しなかった事を予言しています。一方、太陽系の約2パーセントは重い元素で構成され、我々人間の体は炭素やカルシウム、鉄、リン、塩素など様々な元素から出来上がっていることは周知のとおりです。また、最新の宇宙観測データでは宇宙が誕生して間もない時代にすでに重い元素が存在する事が確認されはじめてきています。それでは、このような元素はいつどこでどのようにして生成され、どのようにしてこの宇宙に分布するようになったのでしょうか。さらに、我々の様な生命は宇宙進化のいつどこで発現したのでしょうか。

ビッグバンで宇宙が誕生した後、物質の大部分を占めるダークマターが宇宙全体に広がっていたと考えられています。ダークマターは宇宙物理学ではその存在が不可欠とされていますが、素粒子実験ではまだ見つかっていない未知の物質です。初期宇宙ではダークマターの空間分布のコントラストが重力の影響で次第に大きくなっていき、やがて高密度領域で恒星が誕生し、その後、星団や銀河の様な天体が形成されるようになりました。恒星や超新星の核融合により新しい元素が合成され星間空間に放出されると、宇宙全体で様々な元素が分布するようになります。

このようにしてできた銀河は、銀河同士の合体や相互作用によってその後も進化が促進されることになります。例えば、銀河系やアンドロメダ銀河のような大型の銀河は、宇宙誕生から小さな銀河の衝突・合体が繰返し発生し、数十億年かけて現在の様な形になったと考えられています。宇宙がそのような歴史を刻む中で、今から約40億年前に銀河系に太陽系が誕生しその中で我々人類が誕生しました。そして、今後数十億年経った未来には、銀河系とアンドロメダ銀河は衝突・合体して巨大な一つの銀河になると予想されています。一方、銀河と銀河の衝突や合体は銀河を構成する恒星やガスの運動をかき乱し星形成のトリガーとなるだけではなく、銀河中心の超巨大ブラックホールの活動に影響を及ぼすと考えられています。

以下では、私たちの研究の主な取り組みをご紹介します。現在精力的に研究しているダークマターハローの性質に加えて、銀河進化とライマンアルファエミッターの関係に迫った Nature論文、銀河衝突に起因するブラックホール活動を扱った Nature Astronomy 論文、そして今や私のライフワークとなったアンドロメダ銀河研究などをピックアップして紹介します。

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ダークマターパラドクス

現在の標準的な構造形成理論であるコールドダークマター(CDM)モデルは宇宙の大規模構造等の統計的性質を説明することに成功した反面、“カスプ-コア問題”や“ミッシングサテライト問題”に代表される銀河スケールで危機的問題が指摘されています。これらは、銀河の形成・進化の問題と密接に関連するものであり、ダークマターの性質を解明する上で非常に重要な問題となっています。

カスプ-コア問題:
ダークマターハローの質量分布に関するこれまでの研究では、ダークマターハローは中心で質量密度が発散するカスプ状構造を普遍的に持つことが強く示唆されています。一方で、近傍矮小銀河の回転曲線の精密観測では多くの場合ダークマターハローの中心質量密度分布はほぼ一定のコア状構造、もしくは理論予言よりは滑らかな質量密度分布(冪指数)を持つことが知られています。この理論と観測の矛盾は“カスプ-コア問題”として広く知られています。また、質量の中心集中度が高いダークマターハローを持つ大質量衛星銀河が見つからない“Too-big-to-fail問題”も、カスプ=コア問題と関連する問題として広く認識されています。これまでの銀河形成シミュレーションの研究により、超新星等のフィードバックが重力場を変化させ、ダークマターハローの質量分布をカスプ構造からコア構造へ遷移させるという現象論的な理解が積みあがってきました。しかしながら、その遷移を支配する基礎物理過程の理解は、未だ根本的な理解に至っているとはとても言い難い状況です。

ミッシングサテライト問題:
階層的構造形成論に基づいた宇宙論的N体シミュレーションによると、銀河系やアンドロメダ銀河程度の質量の銀河には、理論的には数100から1000個のサブハローの存在が予言されています。一方で、実際にこれらの銀河で観測的に同定された衛星銀河はせいぜい50個程度しかありません。このような衛星銀河数の一桁以上の不一致は”ミッシングサテライト問題”と呼ばれ、CDMモデルの抱える難問の一つとされています。この問題を解決する糸口として、星がほとんど存在しない、つまり銀河形成に失敗したダークマターハローだけで構成される暗黒銀河(ダークサテライト)の存在が理論予言されています。しかしながら、ダークサテライトが実在するかどうか、もし存在するならばどの様にして観測すれば良いかといった視点での研究は未だ発展途上です。

このようなダークマターハローの諸問題は、ダークマター自身の性質を理解する上で重要な問題であるとともに、ダークマターハロー重力場中での星形成過程や超新星フィードバック過程等の天体現象を介してお互いに関連しあうため、銀河の形成・進化過程とダークマターハローとの共進化を詳細に調べることが重要となります。我々は、これまでに構築してきた銀河の光学化学力学進化モデルを駆使して、“カスプーコア問題”及び“ミッシングサテライト問題”といったCDMモデルの抱える問題に挑戦しています。

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ダークマターハローのユニバーサルスケーリング

銀河をとりまくダークマターハローは、さまざまな観測パラメータ間で強い相関関係を示しており、「ダークマターハローのスケーリング関係」として知られています。しかし、その起源にはまだ未解明のままであり、これを完全に理解するためには、広範な探求が必要です。 我々は、コールドダークマター模型に基づく宇宙論的N体シミュレーションから導かれるダークマターハローの中心集中度とダークマターハロー質量の相関関係(c-M関係)を利用して、ダークマターハローの表面質量密度、最大回転速度、スケール半径などの他の物理量間の理論的なスケーリング関係を導き出しました。そして、理論的なスケーリング関係とさまざまな質量スケールでの観測されたスケーリング関係を比較することにより、矮小銀河や通常の銀河で観測されるスケーリング関係がダークマターハローのc-M関係に由来することが分かりました。さらに、この理論的なスケーリング関係は、銀河団でも成立することを予測しています。

さらに、我々はコールドダークマターハローで起こると考えられている「カスプからコアへの遷移」の影響を組み込んだ新しい理論的なスケーリング関係を提案しています。カスプとは、ダークマターハローの中心部が非常に高密度で発散するような状態を指し、コアとは中心部がより平坦で広がった状態を指します。この遷移は、星形成や超新星爆発、その他のバリオン過程によるフィードバックメカニズムによって引き起こされると考えられています。これにより、ダークマターの分布が中心部でカスプ状から平坦なコア状に遷移すると考えられています。そして、我々は、ダークマターハローにおけるカスプからコアへの遷移プロセスの観測的な検証の可能性について検討しています。最近の研究では、カスプからコアへの遷移をより詳細に観測するための新しい手法を考案したり、観測データの精度向上やシミュレーション技術の向上により、より正確なダークマターハローの質量分布の検証が重要なポイントです。これにより、理論的なモデルと観測結果との比較がより精緻に行われ、ダークマターの本質や銀河形成のメカニズムに関する新たな知見が得られるでしょう。

金田優香(M2:2023年3月当時)さんがポツダムで開催されたIAU Symposium "Dynamical Masses of Local Group Galaxies"に参加した際に収録されたインタヴューが、YouTubeにアップされました (8:35-10:14)。 銀河に付随するコールドダークマターハローのカスプ=コア問題について、一般の方に向けて分かりやすく解説しています。

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ダークマターサブハローの衝突と銀河形成

現在の標準的な銀河形成モデルであるコールドダークマターによる階層的構造形成論によると、銀河には星質量の倍以上のダークマターを含むことが知られています。 しかし、今世紀になり理論的に予測される質量よりも極めて少ないダークマターハローの質量しか持たないダークマター欠乏銀河の存在が続々と報告されはじめました。 このようなコールドダークマター宇宙において極めて深刻な問題を解決するため、我々は原始ガスを含んだダークマターサブハロー同士の正面衝突現象によって誘発される銀河形成の物理過程を 大規模流体力学シミュレーションにより調査しました。

大質量銀河のホストハローに付随するダークマターサブハロー同士の衝突頻度を解析的に推定した結果、 ホストハローのビリアル半径の10%の領域で1,000万年程度の小さな衝突タイムスケールとなり、頻繁にダークマターサブハローの衝突が発生しうることが分かりました。 また、半径の増加とともに相対速度が増加する様子を示すことにも成功しました。 次に、解析的モデルと数値シミュレーションを用いてダークマターサブハロー同士の衝突現象を調査した結果、 衝突速度に応じてダークマターを大量に含む通常の銀河やダークマター欠乏銀河の形成経路があることを示すことに成功しました。 相対速度が小さい場合、二つのダークマターサブハローが合体し、ダークマターが豊富な通常の銀河が誕生することになります。 一方、中程度の相対速度の場合には、二つのダークマターサブハローは互いに通過してしまいます。 しかし、ガス成分は衝突して衝突面で急激にガス密度が上昇するため、そこで爆発的な星形成を起こす事になります。 最終的に、衝突面ではダークマターをほとんど含まないような銀河が誕生することになります。我々は、これこそがダークマター欠乏銀河形成の重要な過程であると考えています。 さらに、相対速度が十分に大きい場合は、衝突面で発生した衝撃波がガスの表面に到達することで生じるショック・ブレイクアウトによって、大部分のガスが系に束縛されることなく雲散霧消してしまうため、銀河が誕生することはありません。

M1e9v200kms

Otaki & Mori, Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, 25, 2535 (2023)による3次元流体力学シミュレーション

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銀河の誕生と重元素の生成

銀河の物質循環過程を示す概念図

ビッグバン後、原始ガスから水素とヘリウムのみからなる初代星が誕生します。そのような星のうち、比較的重たいものは寿命を終えると超新星爆発を起こし、その一生を終えます。 爆発時に生成された重元素は宇宙空間へと撒き散らされ、星間ガスと混ざり合います。しばらくすると、そのガスからはわずかに重元素を含む新しい星が誕生し、再び超新星爆発を起こします。 このような宇宙の物質循環(コスミック・リサイクル)が繰り返されることで、宇宙空間の元素量は次第に増加していきます。

下図では銀河形成の流体力学シミュレーションの結果を示しています。計算開始後、約1億年が経過すると原始銀河内で星が誕生し、大質量星が寿命を迎えると超新星爆発を起こします。 その影響により矮小銀河内のガスが激しくかき乱され、多数の泡状構造が形成されます。 超新星によって放出された重元素は、ガス密度の小さい泡構造の内部に蓄積され、それを取り囲む高密度のガス殻では重元素量が少ない状態が見られます。 これは、元々重元素を含まない原始のガスが爆発によって集められたものであるためです。 銀河進化の初期段階では、銀河全体を均一に汚染するほどの超新星がまだ発生していないため、星間ガスの化学進化の進行度には空間的なばらつきがあります。

流体シミュレーションによる銀河の重元素拡散の様子

流体力学シミュレーションの結果。それぞれのパネルは、上段が星の密度分布、中段がガスの密度分布、下段が重元素(酸素)の分布を表し、左から、1億年、3億年、5億年、10億年の時間進化に対応しています。 (Mori & Umemura, Nature, 440, 644 (2006) 参照)

流体力学シミュレーションによって得られたガス密度の空間分布の時間変化。多重超新星爆発の衝突により、高密度のガスシェルやフィラメントが多数生成され、複雑な分布を呈するようになります。
(Mori & Umemura, Nature, 440, 644 (2006) 参照)

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銀河衝突による銀河の進化

アンドロメダ周辺構造

Pan-Andromeda Archaeological Surveyによって描きだされたアンドロメダ銀河周辺領域における大規模構造。 中央付近に見られる細長く伸びた恒星の集団構造が、アンドロメダ・ジャイアント・ストリームで長さが約45万光年、質量が1000万太陽質量以上と見積もられています。 (McConnachie et al., Nature, 461, 66 (2009)より改変)

現在の標準的な銀河形成の描像では、宇宙の初期に小さな天体が出来上がり、それらが合体を繰り返しながら大きな構造へと成長する階層的構造形成論が主流となっています。 特に、銀河形成は銀河の合体や相互作用によって促進され、その中でも矮小銀河と銀河の衝突が重要な要因です。 天の川銀河やその姉妹銀河のアンドロメダ銀河のような大型の銀河は、宇宙誕生から数十億年の間に重力によって小さな銀河と相互作用することで進化し、現在の様な形を形成してきたと考えられています。 そして、銀河と銀河の合体は銀河を構成する恒星の運動を乱し、新しい星形成を引き起こすことがあるだけではなく、銀河衝突によって銀河の中心の超大質量ブラックホールの進化が促進され、ブラックホールからのエネルギーの放出やジェットの形成などが観測されています。 これらの銀河衝突現象が銀河進化や銀河中心ブラックホールの進化の重要な鍵となっており、お互いがお互いの進化に影響を及ぼす共進化の重要な役割を果たすと我々は考えています。 観測装置の飛躍的な進歩と観測技術の発展は、遠方の銀河の様子を観測できるようになっただけではなく、我々の住む銀河系や近傍銀河の姿に大変なインパクトを与える事になりました。 これまでは不可能であった非常に暗い星々の観測が可能になり、我々が想像しえなかった銀河の本来の姿を垣間見ることになったのです。

上図は、アンドロメダ銀河の周辺領域をこれまでにない深い観測を行い、暗い天体を見つけ出したMcConnachieらによる観測結果です。 アンドロメダ銀河は上図の中心付近に位置し、その周辺に広がる複雑な形状をした構造や細長く伸びたストリーム構造が、非常に密度は低いが確実に存在する恒星の集団です。 これらは、今世紀になって初めて見つかった観測天文学の大発見の一つとなっています。 それまでに、信じられていた銀河の構造は、実は氷山の一角であり、その周辺に非常に大規模な恒星集団の複雑な構造が存在する事が目の当たりになったのです。 比較のために、天空上の月を同じ縮尺で画像に添えていますが、この構造の膨大さが感じることができると思います。それでは、このような大規模構造はどのようにして出来上がったのでしょうか。

我々はスーパーコンピュータを駆使した大規模シミュレーションを実行し、この問題に挑戦しています。 その結果、世界で初めてこの謎を解き明かすことに成功しました。 今から約10億年前にアンドロメダ銀河の1/400程度の質量しかない小さな銀河がアンドロメダ銀河の強い重力に捕まり、バラバラに引き裂かれる様子がシミュレーションにより明らかにされました。 この銀河の残骸は約40万光年にも渡って夜空を流れるアンドロメダ・ジャイアント・ストリームを作り上げ、幾重にも重なる貝殻状の恒星の集団を産みだすことになりました。 このような銀河衝突は、銀河進化に大きな影響を及ぼす事が示されました(下図参照)。 このことは、階層的構造形成論の予言する銀河の誕生期の銀河衝突現象が、アンドロメダ銀河の様な大質量で成熟した銀河でさえも未だ継続的に発生している事実を明らかにしたのです。 このようなアンドロメダ銀河周辺構造の精密観測は、新しく計画されている世界最先端の観測装置を用いた将来観測計画においても中心プロジェクトして採用され、我々も理論グループとして協力しています。

銀河衝突シミュレーション図1

アンドロメダ銀河と矮小楕円銀河の衝突シミュレーション。青い細長い部分がアンドロメダ銀河に相当します。 (Kirihara, Miki, Mori, Kawaguchi & Rich, Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, 469, 3390 (2017)より改変)

アンドロメダ銀河と矮小楕円銀河の衝突シミュレーション。青い細長い部分がアンドロメダ銀河に相当します。(Mori & Rich, ApJ, 674, L77, 2008)

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冬眠する銀河中心ブラックホール

銀河中心ブラックホールの模式図

銀河中心の大質量ブラックホールに十分な量のガスが落下(降着)すれば、ガスの位置エネルギーの解放により、活動銀河核として明るく輝くことが知られています。 大質量ブラックホールへのガス供給は角運動量(遠心力)により妨げられ、トーラス(ドーナツ)状の構造がガスの“ため池”の役割を担うと考えられています。 このガスの落下によるブラックホール活動の点火機構は、銀河の進化過程において頻繁に起こる現象である銀河衝突だと考えられているが、活動性を終了させる機構にはいまだ定説がありません。 一方で、大質量ブラックホールが明るく輝いている期間は、宇宙年齢138億年のうちわずか1億年程度と非常に短いことが知られています。 つまり、多くの銀河中心ブラックホールはガス欠でエネルギー源の枯渇状態にあり、我々が住む天の川銀河やアンドロメダ銀河の中心大質量ブラックホールも例外ではありません。いわば冬眠状態にあるブラックホールなのです。 また、急激に活動性が停止した痕跡を示す銀河も近年多数見つかってきており、活動停止機構の特定が待たれています。

Miki, Mori & Kawaguchi, Nature Astronomy, 5, 478 (2021)で示された、3次元流体力学シミュレーションの結果。

我々は、アンドロメダ銀河が、中心ブラックホール活動を停止できるかどうかを調べる事で、銀河衝突とブラックホールの活動性との関係を検証する最適な実験場であると考えました。 銀河衝突によって中心ブラックホールへのガス供給源を取り去ってしまうことができれば、やがて中心ブラックホールはガス欠状態に陥り活動停止に追い込まれるため、銀河衝突がブラックホール活動の停止機構としても働くという仮説を立てました。 そして東京大学情報基盤センターと筑波大学計算科学研究センターで共同運用されているスーパーコンピュータを用いた3次元数値流体シミュレーションや1次元解析的モデルを駆使し、この仮説を検証することに成功しました。 図は、衝突した衛星銀河ガスの柱密度がブラックホール周辺のトーラス状ガスの柱密度よりも高い場合には、衛星銀河ガスから運動量が与えられることによって、ほぼ全てのガスが剥ぎ取られることを示しています。 このシミュレーション結果により、銀河の中心衝突が銀河中心ブラックホールの活動性を抑制しうるという物理過程を世界で初めて提案するに至りました。

さらに、この銀河衝突による一連の流体力学過程について、アンドロメダ銀河以外の他の銀河中心ブラックホール活動の停止機構への拡張可能性を検証しました。 その結果、多くの銀河中心ブラックホール周辺のトーラス状ガスの柱密度は銀河衝突によって剥ぎ取り可能な範囲であることが分かりました。 このことは、つまり銀河衝突によって多くの銀河中心ブラックホール活動の停止が可能であることを示したことになります。 加えて、銀河衝突による銀河中心ブラックホール活動の停止頻度を見積もるために、最新の位置天文観測衛星Gaiaの世界最高精度の観測データに基づく衛星銀河の精密軌道計算を実施し、銀河の中心領域に強い影響を与えられる銀河衝突の頻度が1億年に1回程度であったと推定されることを示しました。 この結果は大質量ブラックホールが明るく輝いている期間は1億年程度であるという事実とよく符合しており、銀河衝突と大質量ブラックホール活動の関係性の完全解明に向けての大きな一歩となりました。

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Galactic Habitable Zone

銀河生命存在可能領域(Galactic Habitable Zone:GHZ)の概念は、2001年に Gonzalez et al. (2001) によって初めて提案されました。これは、銀河系において生命の誕生・維持に適した領域を定義しようとするものであり、当初は重元素の存在量や超新星爆発の頻度、惑星系の軌道安定性などに基づいて、天の川銀河の中でも特定の範囲のみが適していると考えられてきました。特に、惑星形成に必要な金属量と、生物進化に必要な安定環境が両立する中間領域がGHZとして注目されてきました。 その後、GHZ研究は静的な領域の議論から、銀河進化に伴う時間的・空間的変化を含むダイナミックな枠組みへと進展しました。中でも化学組成に注目した研究は、生命に必要な重元素の時空間分布を評価するための中心的手法として発展しています。特に Lineweaveret al.(2004)は、銀河内の鉄量分布と惑星形成確率との関係を示し、化学進化がGHZの形成に与える影響を定量的に評価しました。最近では、酸素・炭素・窒素・リンなど、生物にとって重要な元素にまで対象が広がり、これらの元素の存在度や進化の歴史がGHZの位置や広がりに深く関わっていることが指摘されています。

こうした背景を踏まえ、私たちは銀河系にとどまらず、宇宙論的な視点から銀河のGHZを解析することで、生命に適した環境がどのように形成されうるのかを探ります。特に、銀河の化学組成やその力学進化に焦点を当て、星形成・ガス流・重元素合成の空間的・時間的変動を精密に追跡します。また、酸素や鉄に限らず、炭素・窒素・リンなど生命にとって本質的に重要な元素にも着目し、それぞれの元素の分布と進化がGHZに与える影響を包括的に評価することを目指します。 これにより、従来の限定的なGHの定義を超え、より現実的かつ予測的な生命居住可能性のモデル構築を目標とします。また銀河形成シミュレーションとも連携し、多様な銀河におけるGHZ進化の統一的理解に向けたアプローチを進めていく計画です。

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計算科学研究

我々の住む宇宙を科学的な立場で理解するためには、広大な時間空間スケールの研究を必要とします。そのため私たちは、計算科学を研究のもう一つの柱と位置付け、高精度の流体力学スキームの開発、GPUを用いた高速計算手法の最適化、そして機械学習の宇宙物理学への応用に取り組んでいます。具体的には、Godunov系の密度非依存SPHや再現性を満たす補正法の設計、マルチノードGPU環境での強スケーリングと省メモリ化、さらに大規模観測データと数値実験を結ぶ教師あり学習と生成モデルの活用を通じて、未知の物理過程の抽出と将来観測の予測精度向上を目指しています。

高精度流体力学スキームの開発

Smoothed Particle Hydrodynamics(SPH)法は、1970年代後半に天体物理学の分野で独立して提案され、 格子を用いないラグランジュ型の数値流体力学手法として急速に発展してきました。 当初は恒星衝突や銀河形成など天文学的スケールの流体現象を対象としていましたが、その後の改良により、 高速で複雑な流れや自由表面、破砕・混合などの非線形現象を安定的に扱える汎用性の高い手法として進化を遂げました。

現在では、SPH法は宇宙物理にとどまらず、工業分野における流体設計や衝突解析、CG・映像制作における水や煙のリアルな描写、 さらにはスポーツ科学における空力解析や流体抵抗の評価など、幅広い領域での応用が期待されています。

しかし、SPH法は数値的な不安定性や精度の限界が指摘されており、特に接触不連続や強い密度コントラストを伴う流れにおいては、 従来の手法では十分な精度と安定性を確保することが難しいという課題があります。 そこで、我々は新たなSPH手法である GDISPH(Godunov Density-Independent Smoothed Particle Hydrodynamics)を開発しました。

GDISPHによる流体不安定性のシミュレーション例

ケルビン―ヘルムホルツ不安定性の数値実験。"Novel hydrodynamic schemes capturing shocks and contact discontinuities and comparison study with existing methods", Yuasa and Mori, New Astronomy, 109, 102208 (2024)より改変。

Yuasa & Mori (2024)で発表した GDISPHは、Godunov型近似リーマン解法と密度非依存形式(DISPH)を組み合わせた新しいSPH手法です。 この手法は、従来のSPH法の長所である格子不要性と適応性を保持しつつ、密度勾配に基づく補間と精度の高い界面処理によって接触不連続を正確に解くともに、 粒子間の力を解く際に正確にリーマン問題を解くことで衝撃波などの強い密度コントラストを伴う流れにおける数値的不安定性を完全に抑制します。

保存則を満たす対称形式と0次・1次の再現性補正に加え、Godunov法による物理的に正確な流束計算を導入することで、 衝撃波や界面の解像度を飛躍的に向上させました。 Kelvin–Helmholtz不安定性、Rayleigh–Taylor不安定性、Sedov爆風などのベンチマークで高い精度と安定性を実証しており、 天体物理のみならず、他分野への応用展開が可能な基盤技術として発展させていきたいと考えています。

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GPUを用いたハイパフォーマンスコンピューティング

私たちは、重力多体系(N体)シミュレーションにおける計算性能と精度の両立を目指し、複数GPU環境に対応した高次精度Hermite積分器を開発しています。このコードは、全ての粒子間重力相互作用を直接計算する O(N2) アルゴリズムを採用し、加速度だけでなくその時間微分(jerk)まで評価することで、時間発展の精度を飛躍的に高めています。

実装には OpenACC を採用し、既存のCPU向けコードを大幅な書き換えなしにGPUで動作させるとともに、高速ノード間直接通信を活用して、CPUを経由しない低レイテンシデータ転送を実現しました。計算は全てGPU上で完結し、粒子データはGPUメモリに常駐するため、PCIe転送のボトルネックを回避できます。

最新のNVIDIA GPUを用いた性能評価では、粒子数 N = 107 の衝突系シミュレーションにおいて、最大64 GPUまでほぼ理想的な並列効率を達成しました。この性能は、銀河や星団の長時間力学進化を現実的な計算時間で追跡することを可能にします。 今後も、さらなる高速化を進めていく予定です。

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機械学習の宇宙物理学への応用

我々は、機械学習を用いた宇宙物理学研究を進めています。特に、教師あり学習と生成モデルを活用し、未知の物理過程の抽出や将来観測の予測精度向上を目指しています。現在は、衛星銀河とホスト銀河との間で生じる潮汐過程を解析することで、ダークマターハローの性質に迫ろうとしています。

Kaneda, Mori & Amagasa (2025)では、観測データから力学平衡状態を仮定せずに、潮汐破壊前の衛星銀河に付随するダークマターハローの密度分布を正確に推定する手法として、CNN(畳み込みニューラルネットワーク)の利用を提案しています。我々は、正解プロファイルが既知の数値シミュレーションから得た密度マップを学習データとし、教師あり学習による分類を用いて、潮汐破壊されたダークマターサブハローが元来カスプ型かコア型かを判別するCNNモデルを構築しました。 将来的には、このモデルと観測データを組み合わせることで、銀河形成や進化に関する新たな知見の獲得を目指しています。

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シミュレーションによるビッグデータ可視化技術

これまでの研究で培った数値シミュレーション技術とスーパーコンピュータを駆使し、重力多体系や流体力学を含むビッグデータの可視化研究を行っています。 対象は、銀河形成や進化、銀河衝突、さらには超大質量ブラックホールやその周辺構造に至るまで多岐にわたります。これらの現象は、スケールが極端に広く、 力学的相互作用が複雑に絡み合うため、理論や観測だけでは理解が難しい領域です。 本研究では、N体計算や流体力学シミュレーションの結果を高解像度かつ時系列で可視化し、空間構造や時間発展の全体像を直感的に把握できるようにします。 スーパーコンピュータによる大規模並列計算により、数十億以上の粒子や格子点を扱い、銀河同士の衝突で生じる潮汐尾や衝撃波、 ブラックホール周辺のガス構造の進化といった時間的に激しく変動する物理現象の可視化を実現します。 こうした可視化成果は、理論モデルの検証や新たな物理メカニズムの発見に資するだけでなく、科学リテラシー教育の向上にも活用できます。学校教育や公開講座、 科学イベントにおいて、映像やインタラクティブな展示として用いることで、天文学や宇宙物理学といった基礎科学の理解を深め、幅広い世代の科学的探究心を刺激します。 また、これらの活動は、日常生活の中で科学的思考を活かす力を育み、持続的に科学文化を支える人材育成にもつながります。 今後は、機械学習による自動特徴抽出やVR/AR技術を用いた没入型可視化と組み合わせ、学術研究、教育、社会普及の三本柱で、宇宙物理の知見を広く共有し、 科学の魅力を社会に還元していきたいと考えています。

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スポーツ計算科学への応用

これまで天体物理現象の解明に用いてきた流体力学シミュレーションや計算科学の手法を、スポーツ計算科学の分野へと応用する研究を開始しました。 特に、数値流体力学(CFD)や粒子法といった高精度シミュレーション技術を駆使し、競技中のアスリートや用具周辺の空気の流れや力学的相互作用を詳細に解析します。 これにより、従来は風洞実験など限られた条件下でしか得られなかった流体挙動や空気抵抗・推進力の発生メカニズムを数値的に再現し、 最適化のための科学的根拠を提供することを目指しています。 本研究では、大規模かつ高精度な解析を実現するため、スーパーコンピュータを用いた並列計算を積極的に導入します。 これにより、複雑な形状や動的な姿勢変化を伴う競技環境でも、高解像度かつ時間発展を忠実に再現することが可能になると期待しています。 さらに、得られたシミュレーションデータを基に、アスリートや用具周辺の空気の流れに関する知見を深め、競技パフォーマンスの向上に寄与することを目指します。 こうしたアプローチは、陸上競技のみならず、空気抵抗がパフォーマンスに大きく影響する種目において特に有効ではないかと考えています。

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