本研究では、超巨大ブラックホール周囲の降着円盤および円盤風を対象として、
輻射圧によって駆動されるアウトフローの物理過程とその時間変動を、
理論的・数値的に解明することを目的としている。
特に、降着円盤の熱的不安定性や非軸対称構造に着目し、
それらが円盤風の形成や観測的な検出特性に
どのような影響を与えるかを、輻射流体シミュレーションを用いて調べている。
活動銀河核(AGN)のX線スペクトルでは、青方偏移した鉄の吸収線として
ultra-fast outflow(UFO)と呼ばれる高速アウトフローが検出されており、
これは中間的な電離状態を持ち、柱密度が約1023 cm−2、
速度が光速の約10%に達するガス噴出流として、
全AGNのおよそ40%で観測されている。
本研究では、このUFOの有力な起源と考えられている円盤風に注目し、
その時間変動や検出の非定常性を理解することを目指している。
さらに、宇宙物理で培われた放射輸送・散乱計算手法を応用し、
生体中の細胞核による円偏光散乱特性の解析を通じて、
近赤外光を用いたがん診断への応用可能性についても研究を進めている。
これまでの先行研究では、UFOの有力な起源として 金属元素の束縛–束縛遷移による放射圧(ラインフォース)で駆動される円盤風が提案されてきたが、 円盤光度や質量流出率が時間的に一定である定常状態が主に扱われ、 時間変動については十分に調べられてこなかった。本研究では、こうした定常モデルを超えて、 降着円盤自身が時間変動する場合にUFOがどのように応答するかに着目した。 放射圧が支配的な降着円盤では、質量供給率がエディントン率(ブラックホールの重力と放射圧が釣り合う限界光度) に対しておよそ LEdd/c2 程度となる条件下で、熱的不安定性に起因する極限周期振動 (円盤光度が周期的に増減する現象)が発生し、光度が時間的に変動する。 本研究では、熱的不安定で光度変動する降着円盤の1次元流体計算と、 ラインフォースによって駆動される円盤風の2次元輻射流体計算を並行して実行し、 両者を自己無撞着に結合した時間依存シミュレーションを行った。 その結果、光度変動に伴って円盤風の質量噴出率が大きく変動し、 それに応答してUFOの検出確率も時間的に変動することが明らかになった。 特に、光度が極大期から下降期にかけて、 円盤表面の有効温度が上昇することで見込み角約50〜60度の方向に強力な円盤風が形成され、 この方向でUFOが検出されやすくなる。平均的な質量降着率がエディントン降着率程度で粘性パラメータが0.06の場合、 セイファート銀河2MASS 0918+2117において観測されている光度変動とUFOの有無を同時に再現できることを示した。 これらの結果は、AGNにおける光度変動とUFOの時間的検出が、 降着円盤の熱的不安定性によって駆動されるラインフォース円盤風の時間変動として統一的に理解できることを示している。 本研究成果は、Publications of the Astronomical Society of Japan(PASJ)に現在投稿中である。本研究の概要については こちらの発表ポスター(PDF) にまとめている。
本研究では、降着円盤自体の時間発展を直接計算するのではなく、 円盤表面の有効温度分布および放射場を境界条件として与え、 その光度分布が方位角方向に非軸対称で回転している場合に、 ラインフォース駆動型円盤風およびUFOの検出率・検出角度がどのように変化するかを調べた。 具体的には、標準円盤モデルに基づく有効温度分布 Teff(r,ψ) を仮定し、 内側あるいは外側の半径領域が回転する非一様光度分布を与えたうえで、 3次元輻射流体計算による円盤風の時間発展を追跡した。 その結果、円盤光度が非軸対称な場合には、軸対称モデルと比べて質量噴出率が増加し、 UFOの検出確率が高くなることが明らかになった。 特に、内側領域が回転するモデルではUFOが検出される見込み角の範囲が広がる一方、 外側領域が回転するモデルでは、 軸対称モデルではUFOが検出される角度であっても検出されない方向が存在することが示された。 これらの結果は、円盤光度の非軸対称性と回転という境界条件の違いだけで、 UFOの検出有無や検出角度の時間変動が生じ得ることを示している。 これにより、観測されるUFOの断続的出現や検出角度の時間変動を、PPI不安定(Papaloizou–Pringle instability) やMAD円盤(Magnetically Arrested Disk)といった非軸対称な円盤構造と直接結びつけて理解することを目指す。
近赤外(NIR)光は生体組織中で吸収が小さく安全性が高いため診断に有用であり、 特に円偏光は散乱体(ここでは細胞核)の大きさ・形状に敏感である。 本研究では、従来は球として近似されがちだった細胞核形状に着目し、 非球形(長軸をもつ回転楕円体)の細胞核が円偏光散乱に与える影響を、 単一散乱と3次元(3D)放射輸送の両面から評価した。 まず、離散双極子近似(DDA:散乱体を多数の双極子配列として表し、 電磁波との相互作用を第一原理的に計算する手法)により、 入射ストークスパラメータ(I,Q,U,V)から散乱後ストークスパラメータへの変換を与えるミュラー行列 Sij を求め、円偏光度 DOCP(Degree of Circular Polarization:円偏光成分Vを全強度Iで規格化した指標)の角度依存性を解析した。 モデルは、健常核を直径約5.9 μmの球、がん核を直径約11 μmの球および同体積のx方向長軸楕円体(軸比1:2, 1:3, 1:4)とし、 屈折率は粒子1.59・媒質1.33、波長は600 nmと950 nmを用いた。 単一散乱の結果、入射方向が細胞核の長軸方向に近い場合、後方散乱領域において 球モデルと比較してより強い円偏光度(DOCP)の反転が生じることが分かった。 また、長軸方向からわずかにずれた入射条件では、波長600 nmにおいて 楕円体の軸比が大きくなるにつれて、近接した散乱角の間で 右回り・左回りのDOCPが交互に現れる特徴的な構造が形成される。 一方、波長950 nmでは、軸比が大きい場合であっても 明瞭な右回りDOCPの領域が維持され、 波長によって円偏光散乱の形状依存性が大きく異なることが明らかになった。 さらに、単一散乱結果を用いた3D放射輸送計算 (吸収係数νa・散乱係数νsはNishizawa et al. 2022の値)を行い、右回り円偏光入射(107光子) に対する検出光子比やDOCPが組織伝播後にどの程度保たれるかを評価した。 長軸は、媒質表面に垂直になるように配置している。 その結果、600 nmでは楕円体の軸比の違いに伴うDOCPの差が伝播後も識別可能であり、 形状識別(軸比推定)につながる可能性が示された一方、950 nmでは軸比が増大するとDOCPが低下しつつも、 条件によっては健常核と同程度のDOCPに近づく傾向が見られた。また、各距離・波長で検出光子数(検出/入射比) はモデル間で大きく変わらず、円偏光情報が診断指標として有望であることが示唆された。 本研究の概要については こちらの発表ポスター(PDF) にまとめている。 また、今後は、より現実的ながんの細胞核の配置や形状分布を考慮したモデルでの検討を進める予定である。